Self+portrait_2

うちのテラス、というのかベランダというのか。
ちょっと、いや なかなか広い。昨日久しぶりに外で撮りたくなって
どうしたものかと悩んだ末にテラスに出て撮りました。

私が一番最初に自分で自分の写真を撮ったときのことを振り返ってみたんだよね。

今の家に引っ越してからオーディションやらを受けたことがあって
それのために。というのがたぶん最初だと思います。
芸能人になりたい、モデルになりたい!ということより
”セルフメディア”なんて言葉を知る由もないけど、それを漠然と思い描いていて
少なくとも私にとっての鍵は、キャラクターとファッションにあると思っていて
どうすればそこに辿り着けるのか分からずに奔走していた頃です。
写真スタジオの写真があまり良いと思えなくて、かといって
当時付き合っていた彼があまりにも多忙で、”人に頼める”状況でもなく。

それだったら自分で撮ろうか
だって写真ならずっと撮ってるし一眼レフも持っている。

自分が頭に思い描いた写真を撮れる人が身近にいなかったことと
一番身近な人に その余裕がなかったという、状況が作ってくれた手法でした。
やり出したら、そりゃ人間ですからもっともっと良い物を!とカメラを再勉強。
バカみたいに撮り続けた写真を見て「うまくなったね」と彼が言ってくれた時
よっしゃ!って思ったの はっきりと覚えています。
自分で自分を撮って、しかも表に出ようとする 非常に自己主張が強い行為。
読者モデルやタレントさんなら当たり前な自分撮りを決して肯定していなかった彼が、
私の写真を見て、”その写真がいい” ということで認めてもらえた瞬間でした。

私がするセルフポートレート
主張であり、ときに広告でもあり、自分が美しいと思うイメージを自由に作れる場所というか。
あ、でも別に自分を美しいとか思ってはいないんだよなぁ。褒めてくれる人には大感謝!
でもね、人形みたいに完成された、たとえば安室奈美恵さんや吉川ひなのさんで無いわけで
そうじゃないカワイイなんてのは好みの問題でしかない。
私に残されたチャンスはキャラクターとセンス。
世界中に私はひとりしかいなくて、そこと自分の”作る”という行為が交わる場所。
それってすごく特別かもしれないと思い始めてる。

アートなんて立派なものじゃないけど、自分で自分の感情を表現出来る。
デザインに対してついつい構えがちな自分が、素直な姿でいられる瞬間。
これ良くない?こんなんどうでしょ?
閃きで動けるポジションがとても好きです。
自分で完結するから負担なく実験できて、なんかこう安心するのよね。

続くことは作品になるし、仕事になる。これは大学の教授のおことば。

月曜日にいった”カエサリオン”というバーのマスターのお話でも改めて感じたの。
なろうとするんじゃなくて、なっちゃうんだよ。
辿り着いちゃうんだって。